羽根戸遺跡
紹介文
壱岐丘(いきがおか)学校建設前の発掘調査によって、学校の敷地には、旧石器時代から古代におよぶ生活の跡が重なりあった複合遺跡が広がっていることがわかった。
弥生時代(紀元前7世紀頃?から紀元後3世紀)のうち、その中頃(紀元前2世紀から紀元前1世紀)には、甕(かめ)棺(かん)10基からなる墓地となっていたことが確認されている。古墳時代後期から飛鳥時代前期(西暦6世紀から7世紀前半ころ)の竪穴住居跡16棟は、3~4mほどの長方形または方形のもので、内部に竈(かまど)を作り数本の柱で支える構造である。
古代(奈良時代;8世紀)になると、2×2間の高床倉庫と思われる10棟を含めた掘立柱建物41棟があり、大きな集落に発展していたようである。また、弥生時代から古代までのいくつかの河川の跡が発掘され、当時の杭列があるなど周囲の水田のための灌漑(かんがい)水路(すいろ)として利用されたとみられる。河川の跡からは、弥生時代中期から後期前半(紀元前3世紀から紀元後1世紀)、弥生時代後期後半(2世紀)から古墳時代前期(3世紀後半から4世紀)、さらに古墳時代中期から飛鳥時代(5世紀から7世紀)・奈良時代(8世紀)の各時期の遺物が多く出土している。さらに、木簡(もっかん)(木製の札に文字を書いたもの)が1点存在しており、周囲に当時の公的施設(官衙(かんが))が存在した可能性がある。
このほか学校の周辺には、弥生時代の代表的な遺跡である、吉武(よしたけ)高木(たかぎ)遺跡(国指定史跡)、吉武(よしたけ)大石(おおいし)遺跡をはじめとする数多くの文化財が分布している。
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