博多松囃子
紹介文
【由来】
現在5月3日・4日の「博多どんたく」の中で行なわれている「松囃子(まつばやし)」は、本来は小正月(旧正月15日)の行事で、新しい年に祝福をもたらす歳神を迎える民俗行事の芸能化したものである。「はやす」は、分割する、切ることをいう祝いことばで、「殖やす」に通じ、その年の繁栄を祈って山から神の依代である松を伐って家に迎え入れるのを「松囃子」と呼んだ。そうした先行する民俗行事があって、年木を祭場に携える形に意匠化が進み、いつしか「はやし」を歌舞音曲の意に解して、芸能としての〝松囃子〟が生まれたのであろうといわれている。室町時代が最盛期で、『看聞日記』や『満済准后日記』などには、正月3日から15日にかけて、村々の地下人・公卿侍・大名などが徒党を組んで、宮廷や幕府・豪家を訪問して、七福神の舞・鶴亀舞などを舞い、趣向をこらした作り物を出して興を添えたことが記されている。博多松囃子は、こうした中世芸能の数少ない残存の一つである。
【歴史】
伝承では、博多がかつて平家の対宋貿易の基地であったことから、治承3年(1179)に没した平重盛を追福するために始まったといわれているが、史料上では遣明使節策彦周良の日記「初渡集」(『策彦入明記』)の天文8年(1539)正月6日・7日条に、聖福寺門前で松囃子を見たとあるのが初見である。博多の豪商、神屋宗湛の『宗湛日記』には、文禄4年(1595)10月29日に筑前国の領主小早川秀俊(秀秋)が、名島城で正月同様に仕立てた松囃子の訪問を受けたという記事が見える。江戸時代には松囃子の一行が福岡城の藩主黒田家を訪問する形に変化した。
この博多松囃子も華美に流れたことで、博多祇園山笠同様、明治5年(1872)に禁止令が出されたが、その後〝どんたく〟の行事として復興、期日の変更を経て昭和24年(1949)から現行の5月3・4日に開催されている。
※「博多どんたく」のスケジュール、プログラムは下記URLからご確認ください。
https://www.dontaku.fukunet.or.jp/
【内容】
松囃子は、福神・恵比須・大黒の三福神と、稚児舞からなり、福神は福神流、恵比須は恵比須流、大黒は大黒流、稚児舞は東流、西流の各流が受持つ。三福神はそれぞれ馬に乗り、かるさん肩衣姿の子供たちが太鼓を叩いて言立てを唱え、同じ姿の大人達が傘鉾を立ててこれに続く。稚児(舞姫)は天冠をかぶり舞衣・緋袴姿で曳き台に乗り、かるさん・肩衣の大人たちが付添って言立てを唱えながら町を回り、特定の場所では曳き台を止め、囃子方の男児の奏でる囃子、大人達のうたう地謡に合わせて稚児(舞姫)が舞う。各流の行列・言立て等には中世芸能の趣が今なおよく残されている。
※博多松囃子紹介動画(約15秒)
https://youtu.be/3KDpyhJuqxE?si=3GzQU3bgY0SaJgo9
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