筥崎宮
紹介文
筥崎宮は応神天皇・神功皇后・玉依姫命を祭神とし、延長元年(923)、穂波郡大分八幡宮から移設されたのが創建とされる。神功皇后は応神天皇を生んだ際に胞衣を筥に入れてこの地に埋め、標として松の木を植えたとされ、この松を「筥松」、この地を「筥崎」と呼ぶようになったと伝えられている。石清水・宇佐とともに三大八幡といわれ、広く崇敬を集めている。1975年韓国の新安沖海底引揚けの沈没船から筥崎銘の木簡が発見されたが、この地は鴻臚館貿易の衰退した12世紀から対外交易の基地として賑い、仁平元年(1151)には大宰府の役人がこの地の宋人屋敷を襲っている。その後も当地に逃げた平家一族、元寇の戦場、連歌師宗紙の来訪、豊臣秀吉の滞陣、千利休の茶会など多彩な歴史に彩られる。
天文15年(1546)頃創建の本殿、天文15年(1546)あるいは元和元年(1615)に建てられた拝殿、文禄3年(1594)小早川隆景によって再建された楼門(正面に亀山上皇宸筆の「敵國降伏」の額を掲げる)、柱の太さが特徴の慶長14年(1609)に建てられた一ノ鳥居、南北朝時代の観応元年(1350)建立の石燈籠が国指定重要文化財。境内にある禁断碑と蒙古碇石、また箱崎八幡宮縁起、刀・太刀、銅製鉢・酒瓶などの収蔵品が県指定文化財となっている。1月には玉取祭(玉せせり)、9月には放生会がとりおこなわれ、放生会の期間中、隔年の9月12日~14日に神幸行事(市指定無形民俗文化財)も行われる。
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