承天寺
紹介文
臨済宗東福寺派。山号は万松山。仁治3年(1242)、博多に住む中国人商人の謝国明が、宋から帰国した聖一国師(円爾弁円)を開山に迎えて創建した。建立の檀越として太宰少弐武藤資頼の名が伝えられているが、資頼は1228年に没している。寛元元年(1243年)太宰府の崇福寺や博多の聖福寺とともに官寺に列せられ、室町時代には天下十刹に列した。盛時には、塔頭(たっちゅう)四十三院を擁したという。
1975年、韓国の新安沖海底引揚げの沈没船から子院である釣寂庵の名が記された木簡が発見され、対外貿易への関与が証明された。
寺蔵の釈迦三尊像(鎌倉期)、禅家六祖像(鎌倉期)、銅鐘(高麗時代)は国指定の重要文化財。境内にある完形の蒙古碇石(長さ209cm、推定重量230kg、凝灰岩製、出土地不明)は県指定考古資料である。また境内には、博多織の祖として伝える満田弥三右衛門の墓がある。
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