山ほめ祭
紹介文
以前は旧暦2月15日、11月15日の春秋2回行われ、「狩漁の御祭」と称した。現在は春を「山誉種蒔漁猟祭」、秋を「山誉漁猟祭」と称し、4月15日と11月15日に行っている。春の方に種蒔の所作が入る点が違っており、神功皇后が三韓出兵の途次、対馬豊浦に滞在中、志賀の海士が海山の幸で饗応したという伝説にちなむ行事である。
境内の裏山から伐り出した高さ約2メートル程の椎の木を、神前の庭の盛り砂に立て、庭に莚を敷き社人達が着座して行事が始まる。まず、大宮司一良が「ことなき柴」の枝を折り採って、志賀三山(勝山・衣笠山・御笠山)を祓う。次に扇を開き右手に執って標の山前で拍合わせて拝する。続いて別当一良が「ああらよい山、繁った山」と三山をほめる。そして、鹿を射る問答があり、標の山の盛り砂に狩股の矢を射る作法となる。古くは、子供が務める犬の役があったというが今はない。ここまでが狩の行事である。
次に漁りの行事となる。藁製の鰭を両手に持つ社人と艫を持つ社人が出て、磯良ヵ崎にこぎ出して鯛を釣る所作が演じられる。
現在の行事は簡略化されており、作法の順序も入れ換わっている。江戸期の「御祭礼執事式記」では、山ほめの次が漁りの所作、最後は狩の所作となっており、詞唱も違っている。
志賀海神社の祭祀は定員21名の社人組織によって執行される。社人には一番座から六番座まであり、三番座までを大座、四番座から六番座までを小座と称する。大座には一良から四良、小座には二良から四良までの臈次がある。江戸期の「筑前国続風土記附録」には、小座にも一良があり、定員24名であったと記されている。生後百日を経過した男児が各座に記帳し、種々の儀礼を経て社人となるのだが、現在は、社人をつとめる氏子が減っており、大座、小座の別もなく務めている。しかしながら、祭礼組織が変容しながらも古態をとどめている点は県内でも珍しい例である。
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