今宿上町天満宮鬼すべ行事
紹介文
今宿上町天満宮の鬼すべ行事は、毎年正月7 日に福岡市西区今宿の上町天満宮境内を中心に上町の町内で催される祭である。祭りは上町天満宮の氏子を中心とする上町町内会が主体となって運営されてきた。
今宿上町天満宮鬼すべ行事は、悪鬼を払い疫癘(えきれい=悪性の流行病。疫病)を除いて一年の息災を願う追儺(ついな=鬼を祓う行事)祭のひとつであると考えられる。
古代には追儺は宮中の年中行事として歳末に行われていたが、時代が下ると寺院の修正会や民間の節分行事と融合し年頭に行われる事が多くなった。
福岡市周辺では太宰府天満宮の鬼すべや大善寺玉垂宮(久留米市)の鬼夜、熊野神社(筑後市)の鬼の修正会などが有名である。
祭り当日、参加者は高張り提灯、鬼面(二面)、御幣、鬼(赤の柔道着、頭と背中に藁角・藁襷(藁で作製した角状の飾り)を付ける)、「お守り」(長持)、太鼓、鐘、鈴、オシオイ桶の順で行列をつくり、その後ろに子供達がついて行く。
一行は鐘と太鼓を鳴らして海岸へ下り、浜でオシオイ取りを行う。
再び町内に戻り、隣組毎に定められた接待所に近づくと、鬼を中心に男性が4,5名密集し、「鬼じゃ鬼じゃ」と声をあげて互いに押し合う(鬼押し)。その後、接待所へ入って新年の挨拶をし、酒食の饗応を受ける。御幣を持つ子供はお祓いを行い、オシオイ桶を持つ子供は接待所にオシオイを撒き、希望者にはオシオイを配布する。長持ちを持つ子供は接待所に入り、「お守り」と声をかけるが、これはかつて行われていた配札の名残りと考えられる。
天満宮の境内に戻った後、再び「鬼押し」が行われ、集団は境内に作られた「鬼くら」に入り、最後に「祝いめでた」が歌われて行事は終了する。
今宿上町において鬼すべ行事が始められた時期は明確でないが、地元にはいつの頃か大宰府より天満宮を勧請し、その際に大宰府の鬼すべを模倣して開始したという言い伝えが残っている。
行事で使用する道具類の多くに、昭和9 年(1934)3 月の「百年祭」に際して新調した旨の墨書があり、ここから天満宮の勧請、または行事の開始が天保6年(1835)頃だと推測される。
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