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【令和6年度 資料調査速報!vol.3】福岡市内寺社資料調査事業の資料紹介

【2024年12月16日】

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「御社用日記」表紙

【令和6年度 資料調査速報!vol.3】福岡市内寺社資料調査事業(第3期)の資料紹介

 

○はじめに
 福岡市文化財活用課では、文化庁の補助を受け、市内の寺社資料調査事業を実施しています。
 令和6年度の調査対象は福岡市東区に鎮座する香椎宮と志賀海神社の2社です。
 ご所蔵者の許可を得て、今回は志賀海神社の調査資料を速報で一部ご紹介します。

 

○志賀海神社の歩射祭(ほしゃさい)
 令和7年は、志賀海神社の歩射祭が1月12日に行われます。これは阿曇百足(あづみのももたり)の土蜘蛛(つちぐも)退治伝承にちなむもので、破魔の目的と年占(としうら)の意味を兼ね、1月15日に近い日曜日に歩射が斎行されることになっています。数多くある神事のなかでも古式が残され、福岡県指定無形民俗文化財となっています。

氏子から選ばれた若者が厳しい斎戒を経て射手衆(いてしゅ)となり、神社参道に立てられた大的を射ます。射手衆は経験者の「古参」と新入者の「新参」に分かれます。
 射手(いてし)1人につき3回、1回に2矢、射手は8人いるので、3回×2矢×8人で合計48本射込まれます。黒的(こまなか)に当たると観衆は「ヨイヤァ」とはやし、最後の一矢が放たれると観衆が「的破り」をして行事を終えます。

 

○島の運命を握る歩射祭
 今回ご紹介する史料は「安政七年庚申正月吉日 御社用日記并妙薬伝法記」(以下、「御社用日記」と略記)です。「御社用日記」の作成者は、現宮司のご先祖である阿曇磯興(安政7年当時38歳)です。
「御社用日記」には、狛犬奉納や藩命による祈祷、その他神事などが記されており、「七月六日七夕祭清天詣来ル人多し」と七夕祭の様子も書き留められています(七夕祭についてはVol.1をチェック!)

安政7年(1860)正月15日は「神的行事」(歩射祭)が行われ、射手8人のうち2、3人は「例年新参ヲ仕立」て執行しこれまで古来より射手のうち1~3人は「射残あり」(的を外し)、人数多く「残ル」(的を外す人が多い)年は必ず「悪病流行いたすと記されています。
 この年から28、9年前には射手8人共残らず「射当ル」ことがあり、その年の志賀島は「殊外繁昌」し、今年は「残りなく」8人共が「射当」、矢数も25、6本当ったので、いよいよ「病魔退散成ルへし」と記されています。

 

○歩射祭の今と昔

「御社用日記」から、いくつか現在も変わらず伝わっていることがわかります。
  ①8人が射手を務め、そのなかには新参がいること
  ②歩射祭には破魔と年占の意味が込められていたこと
 射手が多く的を外せば、必ず悪病が流行する一方で、天保2年か3年(1831-1832)頃には、残らず的を射たので、志賀島は非常に繁昌したといいます。

さて逆に、射手衆の放つ矢数は幕末と現代では異なる可能性があります。「御社用日記」には、残りなく25、6本当たったので病魔退散する。とあり、現在の合計48本と比べると、射手8人では矢数の辻褄があいません。

なお、「位(くらい)まけ」*しないため、6本目の矢をわざと外す「喜之助さんのヒョーイヤロ」と呼ばれる験担ぎが行われます。

たとえ8人全員が6本目をはずすとしても、合計で40本となり、矢数25、6本で残らず射当てるという幕末の矢数とは数に開きがあります。
 「喜之助さんのヒョーイヤロ」の起源は未詳ですが、いずれにしても、時を経ていつしか矢数が変化したのでしょうか。
* 喜之助という人物が射手のとき、6本目を外すつもりで射ったところ大的に当り、喜之助は早死しました。これを6本中すべて当てたことによる「位まけ」と伝わっています。

 

○射手の重圧と歩射祭の御利益!!?
 「御社用日記」の前年にあたる安政6年(1859)、諸国において悪病が流行し、藩内の有力な15の神社(志賀海神社含む)*に祈祷が命じられました。さらに、福岡・博多・箱崎・志賀島・能古島・姪浜そのほか筑前国内にコレラが流行し、病死者も多数出ていました(『見聞略記』、『福岡県近世災異誌』)。悪病やコレラが流行した不遇の年から脱却を占う歩射祭の意味を考えると、この年の射手にのしかかった重圧は計り知れなかったことでしょう
 見事、重圧に打ち勝ち、残らず射当てた安政7年(1860)、異変・災害の史料を収集した『福岡県近世災異誌』には、志賀島村で病が流行したという記事は出てきません。歩射祭の御利益でしょうか。
 * 15社とは、筥崎宮、太宰府天満宮、警固神社、鳥飼八幡宮、紅葉八幡宮、香椎宮、住吉神社、宗像大社辺津宮、宝満宮竈門神社、宗像大社中津宮・沖津宮、雷神社、志賀海神社、桜井神社、多賀神社を指したと思われます(『福岡県史』近世研究編 福岡藩(三)、1988年)。

 

○おわりに
 今回ご紹介できませんでしたが、1月2日から、弓稽古で使用する巻き藁づくりの「胴結締(どいじめ)」、当日には歩射の前に「扇の舞」など数々の神事が行われています。
 新年を占う破魔の神事を現地で拝観してみませんか。(志賀海神社の歩射祭の詳細はこちらをチェック!


※資料の一般公開は行っておりません。ご理解をお願いいたします。
 福岡市内寺社資料調査事業の紹介パンフレットが令和6年3月にできました。
 末尾に関連ページのリンクを貼っておりますので、ぜひアクセスしてみてください。

 

《主要参考文献》
福岡県教育委員会編『福岡県文化財調査報告書 第24集 志賀海神社祭事資料集』(1962年)
『福岡県史』近世研究編 福岡藩(三)、1988年)
高田茂廣校注『見聞略記:幕末筑前浦商人の記録』(海鳥社、1989年)
立石巌編『福岡県近世災異誌』(「福岡県近世災異誌」刊行会、1992年)
『福岡県史』通史編、福岡藩、文化(上)(1992年)

「御社用日記」正月元日より十四日まで

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「御社用日記」正月十五日

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