宮崎安貞墓 附宮崎安貞書斎
紹介文
宮崎安貞は、元和9年(1623)安芸国(広島県)浅野氏の家臣宮崎儀右エ門の二男として生まれ、元禄10年(1697)75歳で没した。25歳の時、福岡藩二代藩主黒田忠之に仕えるが、まもなく辞して隠居し、九州・山陽・近畿の諸国を巡遊し、あまねく老農の経験談を聞き、種芸の実際を観察した。その後、知行所の志摩郡女原村(西区女原)に帰り、土着して、一介の農民として郷土の農業改善、民生生活の向上に尽くした。この間、宮崎開などの新田開発も指導しながら、中国の農業書である「農政全書」を参考として、自己積年の体験を収集し、元禄9年(1696)不朽の名著「農業全書」(10巻)を著わした。この書には、貝原益軒の序文が寄せられている。農業全書は、我が国最初の農書として名高く、明治に至るまで版を重ね、農業技術の基本図書として読み継がれてきた。また、本書の影響力は大で、明治期の農業県福岡の基礎を培った。安貞はこの著述のほか、精力的に開墾事業を行い、農業の発展に尽くした。女原には、現在も「宮崎開き」の地名が残っている。
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