福岡の歴史と民俗

『漢委奴国王』金印

第2の画期は紀元1世紀で、江戸時代に東区志賀島から発見された「漢委奴国王」金印がその象徴といえます。紀元前108年、中国前漢の武帝は朝鮮半島北部に楽浪郡ほか3郡を設置しますが、これを境に北部九州のクニグニが競って楽浪郡に貢物をするようになりました。貢物の代わりに前漢鏡や鉄製武器などを手に入れ、これらの品物は有力者の墓に副葬されています。

金印

また、この頃以降、当時「倭」と呼ばれていた日本列島のクニグニの統合が進みますが、志賀島発見の金印は、紀元57年に倭の奴国王が後漢に朝貢し、初代皇帝の光武帝から授けられたものです。金印は当時の中国国内でも皇太子や総理大臣などの皇帝に次ぐクラスにしか与えられず、「倭」のクニグニの「王」の中で「奴国王」が最も実力があったことがわかります。「奴国」は現在の福岡市博多部から春日市にかけて在ったクニで、当時この地域が対外交流の最も先進地であったことを示しています。