鴻臚館外交
第4の画期は八世紀で、鴻臚館の時代だといえます。鴻臚館の前身は七世紀後半に設置された筑紫館で、平安時代に唐風の名称になりました。鴻臚館から遣唐使や遣新羅使らは渡海し、唐や新羅からの使節や商人達も鴻臚館に到着し、旅の疲れを癒しました。鴻臚館を拠点に遣唐使や遣新羅使が往来し、唐や新羅からの使節も鴻臚館に宿泊しました。鴻臚館はその後400年間にわたり外交・貿易の拠点となりました。鴻臚館の所在地は、1987年の発掘調査で平和台野球場を中心とする福岡城内にあったことが初めて確認され、その後の発掘調査で門や塀などの遺構や、瓦・陶磁器などの遺物が出土しました。






