福岡歴史なび

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 早良のクニの存在を示す遺跡として一躍注目を浴びた吉武高木遺跡と古来より信仰の山として親しまれる飯盛山の麓を巡るまち歩きを紹介します。
吉武高木遺跡を見た後には、飯盛神社も鎮座する飯盛山の麓にも足を向けてみませんか。飯盛山の麓で営まれた早良のクニの人々の暮らしぶりに想いを巡らせるまち歩きをお楽しみください。

[1] 吉武高木遺跡
・早良平野を貫流する室見川中流左岸扇状地(吉武遺跡群)に立地します。
 1984 年度調査で弥生時代前期末~中期初頭の金海式甕棺墓・木棺墓等11基より銅剣、銅戈、銅矛の武器(11 口)、多鈕細文鏡(1 面)、玉類多数(464点)が出土しています(吉武高木遺跡)。遺跡群内には同様に多数の副葬品を有する前期末~中期後半の甕棺を主体とした墓地(吉武大石遺跡)、中期後半~後期の墳丘墓(吉武樋渡遺跡)があります。またこれらの墓地の周辺には同時期の集落が広がり、吉武高木遺跡の東50 mからは12 × 9.6 mの身舎に回廊をめぐらした掘立柱建物も発見され、「高殿」の可能性が指摘されています。

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[2] 飯盛神社
・旧早良郡7 ヵ村の惣社で、飯盛山を御神体として誉田別命(ほむだわけのみこと)・伊弉再命(いざなぎのみこと)・玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祭神としています。本殿(市指定)は天明6 年(1786)建立。南北朝時代の宋風の石造狛犬(県指定)、飯盛神社文書(市指定)が蔵されています。

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[3] 飯盛神社中宮社
・中宮清和天皇の勅願を帯びて再建された神社ですが、文和二年(1353)からの戦禍により灰燼に帰しました。近年、有志によって再建されました。

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[4] 松林飯山誕生地の碑
・幕末の儒者である松林飯山の生誕地です。藩にあっても尊王派として活躍しましたが、慶応3 年1 月3 日に佐幕派藩士に暗殺されました。

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[5] 羽根戸南古墳群
・古墳時代中期~後期に造れた18基の古墳群で、「位至三公鏡(いしさんこうきょう)」とよばれる中国製青銅鏡(せいどうぎょう)や鉄製小刀などが出土しました。
・隣接する市水道局技術研修所の玄関横に箱式石棺の実物、1階ロビーに資料の一部が展示されています。

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[6] 羽根戸古墳群
・明治13年(1880 年)頃、高さ70. 5センチメートルの「装飾付器台(そうしょくつききだい)・子持ちはそう」がほぼ完全な形で出土しました。これは国の重要文化財となっています。現在は伊勢神宮宝物館に所蔵されており、飯盛神社にレプリカが展示されています。

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[7] 羽根戸原地蔵堂
・新四国霊場第35番礼所の地蔵堂です。境内には桜の木が多く、花見の季節には多くの人が訪れています。