2 甕棺ロード vs 特定集団墓
どっちが立派?
高木地区で特定集団墓が営まれた中期はじめごろ、甕棺ロード内にある大石地区では、特定集団墓と同じように、いくつかの墓に青銅器が副葬されています。しかし、特定集団墓(高木地区)と甕棺ロード(大石地区)とでは、以下のような違いがあります。
① 特定集団墓は、限られた範囲に整然と営まれているのに対し、大石地区の墓は不規則である。 |
② 大石地区には、特定集団墓内の大型甕棺墓や木棺墓(2・3号)に匹敵する大型墓が存在しない。 |
③ 大石地区では装身具を持つ墓は1基(51号)のみであり、特定集団墓の3号木棺墓のように、副葬品が集中する墓もない。 |
甕棺ロードの大多数は、副葬品を持たない通常の墓です。これをみれば、同じ甕棺ロード内でも大石地区にある副葬品を持つ墓は、特別な存在であるといえるでしょう。しかしそれでも、墓の大きさや副葬品の質・量を比べれば、特定集団墓におよぶものではありません。このように特定集団墓と甕棺ロードでは、大きな差が存在しています。
埋葬されたのは誰?
特定集団墓が社会で認められた有力者たちの墓であり、その中でも副葬品が集中する3号木棺墓は、「最古の王墓」と呼ばれていることはすでに述べました。甕棺ロードの大石地区にも、特定集団墓にはおよばないものの、優れた副葬品を持つ墓があり、これをみると、大石地区の被葬者たちは、特定集団墓に次ぐものであったといえるでしょう。武器が多いなど副葬品の内容から、特殊な職能(戦闘)を担う集団である可能性があることは先にふれたとおりです。そして、甕棺ロードなどの大半を占める、副葬品も持たない甕棺墓が一般の人々の墓と考えることができます。ところで、特定集団墓にみる高木地区の人々と、大石地区の人々の関係はいまだによくわかっていません。主従関係にあったのか、もしかしたら対立関係にあったのかも知れません。今後の研究の深化が望まれます。