遺跡のみどころ

吉武高木遺跡を代表する3つの重要遺構と、吉武遺跡群の変遷について紹介します。

  1. 重要遺構1特定集団墓
    1. 1最古の王墓発見か?
    2. 2弥生人の生と死
    3. 3続々と出土する豪華な副葬品
    4. 4有力者たちが眠る場所特定集団墓
    5. 5国の出現と東アジア世界
    6. 6シカに見る弥生人の精神世界
  2. 重要遺構2甕棺墓群「甕棺ロード」
    1. 1甕棺ロードへようこそ
    2. 2甕棺ロードVS特定集団墓
    3. 3弥生のタイムカプセル「甕棺」
    4. 4甕棺の移り変わり
  3. 重要遺構3大型建物
    1. 1謎の大型建物あらわる
    2. 2大型建物の復元
  4. 吉武遺跡群の発展と衰退
甕棺墓群「甕棺ロード」

重要遺構2甕棺墓群「甕棺ロード」

弥生時代前期の終わりから中期後半までの200年の間に、甕棺墓を中心とした、たくさんの墓がつくられた場所です。

2 甕棺ロード vs 特定集団墓

2 甕棺ロード vs 特定集団墓

どっちが立派?

高木地区で特定集団墓が営まれた中期はじめごろ、甕棺ロード内にある大石地区では、特定集団墓と同じように、いくつかの墓に青銅器が副葬されています。しかし、特定集団墓(高木地区)と甕棺ロード(大石地区)とでは、以下のような違いがあります。

2 甕棺ロード vs 特定集団墓

表 特定集団墓(高木地区)と甕棺ロード(大石地区)の違い
① 特定集団墓は、限られた範囲に整然と営まれているのに対し、大石地区の墓は不規則である。
② 大石地区には、特定集団墓内の大型甕棺墓や木棺墓(2・3号)に匹敵する大型墓が存在しない。
③ 大石地区では装身具を持つ墓は1基(51号)のみであり、特定集団墓の3号木棺墓のように、副葬品が集中する墓もない。

甕棺ロードの大多数は、副葬品を持たない通常の墓です。これをみれば、同じ甕棺ロード内でも大石地区にある副葬品を持つ墓は、特別な存在であるといえるでしょう。しかしそれでも、墓の大きさや副葬品の質・量を比べれば、特定集団墓におよぶものではありません。このように特定集団墓と甕棺ロードでは、大きな差が存在しています。

埋葬されたのは誰?

埋葬されたのは誰?

特定集団墓が社会で認められた有力者たちの墓であり、その中でも副葬品が集中する3号木棺墓は、「最古の王墓」と呼ばれていることはすでに述べました。甕棺ロードの大石地区にも、特定集団墓にはおよばないものの、優れた副葬品を持つ墓があり、これをみると、大石地区の被葬者たちは、特定集団墓に次ぐものであったといえるでしょう。武器が多いなど副葬品の内容から、特殊な職能(戦闘)を担う集団である可能性があることは先にふれたとおりです。そして、甕棺ロードなどの大半を占める、副葬品も持たない甕棺墓が一般の人々の墓と考えることができます。ところで、特定集団墓にみる高木地区の人々と、大石地区の人々の関係はいまだによくわかっていません。主従関係にあったのか、もしかしたら対立関係にあったのかも知れません。今後の研究の深化が望まれます。

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