遺跡のみどころ

吉武高木遺跡を代表する3つの重要遺構と、吉武遺跡群の変遷について紹介します。

  1. 重要遺構1特定集団墓
    1. 1最古の王墓発見か?
    2. 2弥生人の生と死
    3. 3続々と出土する豪華な副葬品
    4. 4有力者たちが眠る場所特定集団墓
    5. 5国の出現と東アジア世界
    6. 6シカに見る弥生人の精神世界
  2. 重要遺構2甕棺墓群「甕棺ロード」
    1. 1甕棺ロードへようこそ
    2. 2甕棺ロードVS特定集団墓
    3. 3弥生のタイムカプセル「甕棺」
    4. 4甕棺の移り変わり
  3. 重要遺構3大型建物
    1. 1謎の大型建物あらわる
    2. 2大型建物の復元
  4. 吉武遺跡群の発展と衰退
甕棺墓群「甕棺ロード」

重要遺構3大型建物

巨大な柱穴が見つかり、弥生時代最大級の大型建物があったと考えられています。

1 謎の大型建物あらわる大型建物は何のために
作られたのかな~?

大型建物と特定集団墓
大型建物と特定集団墓

地面に残された巨大な柱穴

昭和59(1984)年度の調査で、整然と並ぶ直径1~1.5m、深さ0.7~1mの穴が発見されました。これは掘立柱建物の柱穴の跡と考えられています。

掘立柱建物とは、地面に掘った穴の中に柱の根元を入れ、その周りの隙間を埋めて柱を固定した建物のことです。通常の柱穴は直径60~80cm程度であることを考えると、この建物では、とても大きな柱が使われていたことが分かります。

掘立柱建物は、縄文時代から存在しており、近世にいたるまで広く使用され続けました。柱が自立するため、軽易な構造で建物をつくることが可能となりますが、柱が地中にあるため、柱が痛みやすく、耐用年数も短くなるのが欠点です。そのため、遺跡で発見される掘立柱建物には、ひんぱんな建て替えの痕跡が残ることがあります。

弥生時代最大級の大型建物

大型建物の柱穴
大型建物の柱穴

建物の広さは、最大約14×13m、面積182㎡です。これは畳約112枚分に相当し、弥生時代中期後半(約2,100~2,000年前)では最大級の建物です。この南側でも、一般的なものよりも大きい掘立柱建物群が発見されています。

弥生時代の中期後半は、大型建物建築の盛行期であったようで、九州北部の他地域においても、久保園(くぼぞの)遺跡(福岡県福岡市)や柚比本村(ゆびほんむら)遺跡(佐賀県鳥栖市)などで、面積100㎡を越える大型建物が発見されています。

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