文化財を見に行こう

1.砂丘の神社と立花山

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東区三苫付近から志賀島まで12キロにわたり続く砂丘は、その昔、宗祇法師(連歌師、 1421~1502)や細川幽斎(戦国時代の武将、1534~1610)が愛でたように、まさに「海の中道」と呼ぶにふさわしい美しい景観をなしています。
この周遊コースは、立花山と海の中道付近の文化財を組み合わせたものです。コースが広域にわたるため、2、3回に分けて、文化財だけではなく豊かな自然とふれあいながら、じっくりとまわってはいかがでしょう。

[1] 志式神社
 奈多集落の北側の松林に囲まれた砂丘上に鎮座する。祭神は火明神、豊玉姫神などで、農業と漁業の神社として信仰される。一の鳥居をくぐった右手に建つ志式座(市指定文化財)は、間口16.3m、奥行5.27mの桟瓦葺切妻平入の農村舞台で、舞台下手には7.22mの常設の花道が付属する。現在も神社の祭りで使用されている。境内には絵馬殿もある。11月19日(旧暦10月19日)の秋...
[2] 綿津見神社
 綿津見神を祭神とする社である。境内には大日堂・虚空蔵堂があり、ここに祭られた木造の不動明王立像、吉祥天立像、如来形立像、伝虚空蔵菩薩立像、伝薬師如来座像の5躯が「綿津見神社仏像群」として市有形文化財に指定されている。この仏像群は前4仏像が平安時代後期、他が南北朝時代の作とみられる。このうち如来形立像と菩薩立像は、11世紀あるいは14世紀に海中から...
[3] 宮前古墳群
 大神神社境内から北側の公園緑地内に分布する3基の円墳群である。昭和45年、団地造成工事の際調査された。神社拝殿西横の1号墳は横穴式石室の玄室が残るが、その北側の2号墳は埋め戻されて形をとどめていない。また公園緑地に位置するの3号墳は墳丘径20mで、内部主体は全長7.3mの横穴式石室。現在も形のよい墳丘と石室がそのまま残されている。石室から出土した須恵...
[4] 宗勝寺
 宗勝寺は高節山麓にある曹洞宗の寺院である。小早川隆景の重臣で、立花城代を務めた浦宗勝が亡妻を弔うため永禄12年(1569)に建立した。寺は後に焼失し、現在の本堂は約200年前に再建されたものである。本堂左手前の山道を案内に従って登っていけば、竹林の中に宗勝とその妻の墓が、5人の重臣の墓とともにある。
[5] 立花城跡
 福岡市東区と粕屋郡新宮町、久山町境の立花山(標高367m)に築かれた南北朝~戦国時代の山城である。豊後大友氏の拠点で、元徳2年(1330)に大友(立花)貞載が築城した。7世の鑑載が大友宗麟に叛いたため、戸次鑑連(道雪)がこれを攻めて入城し、後年立花氏を称した。天正14年(1586)、その子統虎(宗茂)が九州征覇のため北上して来た島津氏とここで戦い守り抜き、の...