時代 | 西暦 | 事項 | 市内の主な遺跡 | 中国 | 朝鮮 |
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先土器 | 紀元前 | ナイフ形石器、台形石器、細石器などが用いられる。 | 諸岡遺跡、蒲田遺跡 | 殷周 | 櫛目文土器文化 無文土器文化 |
縄文 〈晩期〉 |
1万年 | 土器が初めて作られ、弓矢が発明される(約1万2千年前)。 | 柏原遺跡 | ||
〈縄文時代は創草期、早期、前期、中期、後期、晩期に区分される〉 | |||||
前半に黒色磨研土器、後半に刻目突帯文土器が作られる。 | 元岡瓜尾遺跡 | ||||
今津長浜貝塚 | 戦国 | ||||
弥生 〈前期〉 〈中期〉 〈後期〉 |
北部九州に水稲農耕が始まり、環濠集落が作られる(弥生文化の成立)。 | 那珂遺跡、板付遺跡 | 秦 | ||
3世紀 | 石包丁や片刃石斧などの農工具が現れる。 | 有田遺跡 | 前漢 | ||
大型の埋葬用甕棺が作られ、朝鮮製青銅武器や、南方産貝輪が副葬される。 | 金隈遺跡 | ||||
石包丁や石斧の製作専業集団が現れる。 | 今山遺跡 | ||||
大型掘立柱建物が出現する。 | 吉武高木遺跡 | ||||
1世紀 | 甕棺墓が盛んに作られ前漢鏡や、ガラス器などが副葬される。 | 宝満尾遺跡 | |||
平野単位の統合進む | 東入部遺跡 | ||||
紀元後 | 甕棺墓に後漢鏡が副葬される。 | 雀居遺跡、博多遺跡群 | 後漢 | ||
57 | 倭奴国王、後漢に朝貢し、光武帝より金印を授かる(『後漢書』) | 志賀島金印公園 | |||
107 | 倭面土国王帥升等、後漢に遣使し、生口160人を献ず(『後漢書』)。 | 三国時代 | |||
後漢の桓帝・霊帝の間(147~188年)、倭国争乱。卑弥呼を共立し乱止む(『三国志』魏志倭人伝)。 | 野方遺跡 | ||||
239 | 卑弥呼魏に遣使し、親魏倭王の金印を授かる(『三国志』魏志倭人伝)。 | 三国 | |||
266 | 壱与、西晋に遣使(『晋書』)。 | 西晋 | |||
古墳 | 前方後円墳が出現する。 | 那珂八幡古墳 | 南北 朝 | ||
4世紀 | この頃、大和政権の影響が北部九州に及ぶ。竪穴式石室の畿内型古墳の出現。 | 山の鼻1号古墳 | |||
前期古墳が作られる。 | 若八幡宮古墳 | ||||
5世紀 | 竪穴系横口式石室古墳が作られる。 | 鋤崎古墳、老司古墳 | |||
初期横穴式石室古墳が作られる。 | 丸隈山古墳 | ||||
6世紀 | 横穴式石室の後期古墳が作られる。 | 今宿大塚古墳、東光寺剣塚古墳、梅林古墳 | |||
527 | 筑紫国造磐井の乱おこる(『日本書紀』)。 | (※八女市岩戸山古墳) | |||
536 | 那津に官家が設置される(『日本書紀』)。 | 比恵遺跡群 | |||
群集墳が盛んに作られる。 | 草場古墳群、広石古墳群、宮前古墳群 | ||||
巨大な石室の古墳(巨石墳)が作られる。 | 今里不動古墳、夫婦塚古墳、寺塚穴観音古墳 | ||||
隋 | |||||
飛鳥 | 593 | 聖徳太子、推古天皇の摂政となる。 | |||
609 | 筑紫大宰の名が初めて現れる(『日本書紀』)。 | (※太宰府市大宰府史跡) | |||
630 | 第1回遣唐使が那ノ津に泊す(『日本書紀』)。 | 唐 | |||
663 | 白村江の戦い | ||||
664 | 筑紫、壱岐、対馬に防人と烽を置き、筑紫に水城を築く(『日本書紀』)。 | 能古島万葉歌 | |||
688 | 新羅国使を筑紫館(のちの鴻臚館)にもてなす(『日本書紀』)。 | 鴻臚館跡 | 統一新羅 | ||
奈良 | 710 | 平城京遷都。 | |||
神亀年中(724~728)、志賀の白水郎荒雄が対馬に兵糧米を送る途中に遭難する(『万葉集』)。 | 志賀島万葉歌碑 | ||||
736 | 遣新羅使、筑紫館で歌を詠む(『万葉集』)。 | 鴻臚館跡 | |||
741 | 国分寺建立。 | 三宅廃寺、斜ヶ浦窯、老司瓦窯跡 | |||
759 | 博多大津、壱岐、対馬の防備を固める(博多という名称の初見)。 | ||||
平安 | 794 | 平安京遷都。 | |||
838 | 大宰鴻臚館の名が初めて現れる(『日本文徳天皇実録』)。 | ||||
847 | 入唐僧円仁ら帰国して鴻臚館に泊まる(『入唐求法巡礼行記』)。 | ||||
858 | 入唐僧円珍ら帰国して鴻臚館に泊まる(『園城寺文書』)。 | ||||
894 | 遣唐使廃止。 | ||||
941 | 藤原純友の乱で博多が戦場となる。 | 五代 | 高麗 | ||
1019 | 刀伊の入冦で対馬、壱岐、能古島などが侵される。 | 宋 --元 |
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1091 | 大宰府鴻臚館の名がこの年以後史料にみえなくなる。 | ||||
1157 | 平清盛、大宰大弐となる。 | 博多遺跡群 | |||
鎌倉 | 1192 | 源頼朝、征夷大将軍となり、守護、地頭を設置。 | |||
1195 | 栄西、聖福寺を開くと伝える。 | 聖福寺 | |||
1240 | 沙門湛彗、崇福寺を太宰府横岳に開く。 | 崇福寺 | |||
1242 | 宋人謝国明、承天寺を創建。 | 承天寺、博多遺跡群 | |||
1274 | 元軍、博多を攻める(文永の役)。 | 祖原山古戦場跡 | |||
1276 | 博多湾沿岸に石築地を築く。 | 元冦防塁(地蔵松原,西新・百道,生の松原,今宿,今津) | |||
1281 | 元軍、再び博多を攻める(弘安の役)。 | ||||
1323 | 京都東福寺の貿易船が寧波から博多に向かう途中に韓国新安沖で沈没する。 | 福岡市博物館 | |||
室町 | 1333 | 鎌倉幕府滅亡。 | |||
1336 | 足利尊氏、多々良浜に菊地武敏軍を破る(多々良浜の合戦)。 | 多々良浜古戦場跡 | |||
1401 | 足利義満、明と勘合貿易を始める。 | 博多遺跡群 | 明 --清 |
李氏朝鮮 |
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1420 | 博多商人宗金、朝鮮貿易に活躍する。 | ||||
1550 | フランシスコ・ザビエル、博多に来る。 | ||||
1571 | 大友方の将、戸次鑑連(立花道雪)が立花城に入る | 立花城 | |||
安土・桃山 | 1573 | 室町幕府滅亡 | |||
1580 | 荒平城、肥前の龍造寺氏に攻められ落城 | 荒平城 | |||
1587 | 豊臣秀吉、九州平定のあと博多を復興する(大閤町割)。 | ||||
1600 | 関ヶ原の合戦。黒田長政、筑前国主となり名島城に入城、翌年より福岡城を築く。 | 名島城跡、福岡城跡 | |||
江戸 | 1603 | 徳川家康、征夷大将軍となり幕府を開く。 | |||
1637 | 島原の乱おこり、福岡藩も出兵。 | ||||
1641 | 福岡藩、長崎警備を命じられる。 | ||||
1697 | 宮崎安貞、『農業全書』を著わす。 | 宮崎安貞墓・書斎 | |||
1703 | 貝原益軒、『筑前国続風土記』を著わす。 | 金龍寺貝原益軒夫妻墓 | |||
1732 | 大飢饉おこり、福岡藩の死者約10万人。 | ||||
1784 | 藩校(東学問所、西学問所)できる。志賀島で金印発見。 | 東学問所跡、西学問所跡、金印公園 | |||
1834 | 福岡藩、天保の改革。 | ||||
1864 | 高杉晋作、野村望東尼の山荘にかくまわれる。 | 平尾山荘 | |||
1865 | 福岡藩、勤皇派弾圧(乙丑の獄)。野村望東尼、姫島に流される。 | ||||
明治 | 1868 | 明治政府成立。 | |||
1871 | 廃藩置県。 | ||||
1889 | 福岡市制施行。 |